常滑焼(とこなめやき)の始まりは平安時代まで遡る。
江戸時代後期には茶陶(茶道具として、茶の湯に使用するために焼かれた器)との繋がりがあまりなかった常滑焼は煎茶器である急須の製作を始める。これにより常滑(愛知県)は日本一の急須の産地として発展していくこととなる。
大量生産が可能になった現代においては用途だけを求めるなら100円ショップで購入する工業製品で充分に事足りてしまうだろう。
しかし常滑焼には用途以外の魅力が練り込まれている。
それが高いお金を払ってでも購入したくなる物の価値ということになる。
それは何か?
文化的要素・芸術的要素そして作家さんの思いという価値である。
用途という元々の目的に添加された価値を楽しむための一品として常滑焼は最適な存在であろう。
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作品:炭化広口急須(無地)
炭化広口急須は常滑焼の特徴である朱泥の作品に釉薬を使用せず燻すことにより色を加えたものである。その落ち着きのある外観は上品さを漂わせている。
もちろん全て手作りである。
その表面はすりガラスのようにざらついているが使えば使うほど光沢が出て来る。これは持ち主だけが体験出来る特権かもしれない。
この急須の最大の特徴はなんと言っても急須の内側にある茶コシの部分である。茶コシについている穴は通常入口が大きく出口が小さいが、この作品は入口が小さく出口が大きくなっている。これは目詰まりをしにくくするための工夫である。更に通常の茶コシと違い平面形状になっているため洗い易い(写真参照)。
目に見えない部分に最大限の気遣いが織り込まれていると言うことだ。
注ぎ口にも特徴がある。注いだ後の切れ味の良さは通常の急須と全く違う。お茶が注ぎ口から垂れないのである。
その他、蓋と本体の合せがピッタリといったことなど書き表せないことが多々織り込まれている。
手に取って頂き、その感触をお伝えできない事が残念である。
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作家:鯉江廣(こいえひろし)
この急須の作者である鯉江さんの工房に伺って直接話を聞いた。
常滑は江戸後期の急須造りの萌芽の後、明治期には土管やタイルを中心とした工業製品の町として発展している。衛生陶器で有名なINAXも常滑に本社を置く。
このようなやきものの町としての礎を築いた第一功労者が鯉江方寿(こいえほうじゅ)である。
鯉江万寿は1847年、真焼けの土管を登窯で作る技術を完成させ量産体制を確立している。このことが常滑の町を工業化へ牽引した。その一方で急須づくりの技術をもった中国人・金士恒(きんしこう)を招くなど従来の陶芸品の進化にも貢献している。
鯉江さんの系譜の元を辿って行くと鯉江方寿と同じ世系であることが分かる。
同じ起源から来るからなのかいつも作品造りのことばかり考えていると語る鯉江さんから陶器造りに対する思いが伝わって来る。
お伺いした日は休日だったがわざわざ作品造りを実演して下さり、陶器に関して全くの素人である私の質問に対しても真摯に受け答えして頂いた。
短い時間ではあったがそんな鯉江さんと接していて陶器と言うものは作家さんの人柄が特徴に現れると感じている。
鯉江さんの作品には暖かさと優しさがにじみ出ているような気がする。